コロナ禍で学べなかった「非言語的コミュニケーション」
今の若手社員は、大学生活の多くをオンラインで過ごした世代である。対面で議論を交わし、共同作業をし、先輩から助言を受けるといった人間関係の中で学ぶ機会が極端に少なかった。そのままリモートワーク中心の職場に配属され、数年間は同僚や上司との直接的な関わりも希薄なまま過ごすこととなった。
この経験の欠如は、非言語的なコミュニケーション力——表情から感情を読み取る、空気を察する、冗談を理解する――を養う機会を奪った。リモート下では、雰囲気の悪さも画面越しのため直接には感じ取りにくく、目の前に相手がいることで生じる緊張感や学びが生まれない。こうした体験は、本来なら社会人になる前に身に付けておくべきものである。
しかも、社会に出た瞬間からは「大人」として扱われ、こうした力が備わっている前提で仕事が進む。仕事とは「他人がやってほしいことを行う」営みであり、それには相手の意図や思考を推し量る力が必要だ。しかし実際には、そうした力が育っていない状況で「空気を読む」ことを求められているのだ。
リモートワークでは「職場の肌感」が奪われた
さらに大きいのは、職場における暗黙知の習得機会の喪失である。
かつての新人は、出社している先輩社員の働きぶりを見ながら、「こういうときはこう動くのか」「あの人はこういう言い回しをするのか」といったことを日々の中で学び取っていた。少し上の先輩が課長にこっぴどく怒られている様子を見て、「ああいった業務のやり方や振る舞いはしてはいけないのだな」と感じられたし、先輩同士が雑談をしているところを聞いて、業界の最新情報や事例を学ぶことも多かった。昼休みのご飯中の何気ない会話で、自分の立ち位置や求められている役割感を確認することもできた。
しかしリモートワークでは、カメラ越しの会議や定型的なチャットが中心となり、上司の仕事ぶりを見る機会がない。会議で報告を聞く時間と、上司との最低限の連絡だけが日常となる中で、周囲の働き方や価値観がつかめない。これでは、周囲がどんなふうに仕事をしているのか、何に困っているのか、そのときにどのように対応しているのかがまったく分からない。

結果として、「この仕事の目的は何か」「自分に期待されている役割は何か」が分からず、作業をこなすだけの日々が続く。「このままでよいのか」「役に立てているのか」といった不安が募り、それを相談できる同世代も周囲にいないという孤独な構図が生まれている。