森 康真(もり やすなお)氏
株式会社ギブリー 執行役員 研修事業統括
北海道大学工学部情報工学科 卒業、同大学院情報科学研究科修士課程 修了。 SAPジャパン株式会社にて人事コンサルタント、株式会社野村総合研究所にて、アプリケーションエンジニアを経験。 株式会社ワークスアプリケーションズでは採用担当として数々のプロジェクトに関わり、 特にエンジニア採用リーダーとして先進的な採用手法を確立する。 19年3月より株式会社ギブリーに参画。これまでのエンジニア/人事/コンサル経験を生かし、研修統括として従事。2023年執行役員に就任。
「量」も「質」も足りていないDX人材
2022年以降、国の後押しもあって注目が高まったリスキリング。「リスキリング=学び直し」と訳される取り組みにおいて、重要なのは「何を」学び直しするかだと森氏は指摘する。
「リスキリングの対象として最も脚光を浴びているのがデジタル技術です。企業のビジネスモデルや事業戦略が変化する中で、『デジタル技術の力を使った価値創造に向けて、多くの従業員の能力やスキルを再開発すること』の必要性が増しています。リスキリングはDX実現のための人材戦略なのです」(森氏)
とはいえ、『DX白書2023』(独立行政法人情報処理推進機構)によると、DXを推進する人材は、「量」も「質」も大幅に足りていないのが現状だ。その大きな要因として、DXにはビジネスとITの両方の知識が必要であることが挙げられる。事実、会社を見渡しても、ITの知識はあるがビジネス面で弱い、ビジネスの知識はあるがITの知識は弱いといったように、どちらか一方のスキルしか持たない人材がほとんどではないだろうか。
両方のスキルを持ち合わせた人材を採用できればよいが、そのような人材はなかなか市場に存在しない。そうなると、企業は既存社員を異動させて、リスキリングに取り組むほかないのだ。
なぜ日本人のリスキリングは進まないのか
しかし、社員の異動やリスキリングに取り組もうとした際、そもそも「DXを推進するうえで求められる人物像」の定義ができていない企業は多い。人物像を定義できていないということは、「評価基準」も明確でないということだ。森氏は、人物像や評価基準の定義の難しさは、DXスキルのリスキリングにおいて重要な課題の1つだと指摘する。
加えて、日本企業は諸外国に比べて人材投資額がきわめて低く、日本人は社外学習や自己啓発を行っていない人の割合がきわめて高いことが調査結果から明らかとなっている。
「組織は学ばせない、個は学ばないという残念な状況が、人事のみなさんの頭を悩ませているのではないでしょうか」(森氏)
リスキリングの定着に必要なのは、仕事との両立であり、キャリアとの接続である。諸外国に比べて日本人がリスキリングに積極的でない理由は、依然として終身雇用の企業が多く、そもそも労働市場における人材の流動性が低いからではないかと森氏は分析する。
そこで、このような現状に対する打ち手として提示されたのが、経済産業省による「デジタルスキル標準」だ。DXに関わる全てのビジネスパーソンが身に付けるべき知識・スキルが定義されているだけでなく、生成AIの適切な利用に必要なマインド・スタンス、基本的な仕組みや技術動向、利用方法の理解、付随するリスクなどにも触れられており、企業の人事がDX人材の人物像を定義したり評価軸を検討したりするうえで、非常に役立つものだという。
DX人材の育成に悩んだらデザイン思考を取り入れよう
さて、ここからは今回の本題である「デザイン思考をリスキリングの動機形成に役立てよう」という話に入っていく。
デザイン思考とは、デザイナーがデザイン業務で使う思考プロセスを活用し、ビジネスなどにおける前例のない問題や未知の課題に対して、最もふさわしい解決を図るための思考法・マインドセットである。目まぐるしくビジネス環境が変動するVUCAの時代において、顧客に対する価値提供を考えるための有効な手段として取り入れている企業は多い。そして森氏は、デザイン思考はDXスキルのリスキリングにも役に立つのだと強調する。
「『デジタルスキル標準』の『ビジネス変革』のカテゴリーの中で、デザイン思考のフレームワークが重要なスキルとして一覧化されています。もともと、弊社が提供するDX研修でも取り扱っていたのですが、国が後押ししていることで、デザイン思考によって『DX人材を育成する際の動機形成が難しい』という課題に突破口が開けると感じました」(森氏)
DX人材になるためには、デジタルスキルとビジネススキルの両方を鍛える必要がある。つまり、ビジネスに興味のないIT畑の人はビジネススキルを鍛え、ITの知識がないビジネス畑の人はデジタルスキルを鍛えなければならない。デジタルとビジネス、まったく異なる2つのスキルを学ぶ意識を高めることがDXスキルのリスキリングの難しさなのだと森氏は述べた。
そして、社員自らが両方のスキルの重要性に気づくために、デジタルとビジネスの視点を交差させられるのがデザイン思考なのだという。
デザイン思考を用いたリスキリングの動機形成
ここで森氏は、DXスキルのリスキリングの動機形成に効果的な、デザイン思考を用いた手法を紹介した。
それは、「DXの視点から自社で新しいビジネスをつくってください」「身の回りの業務課題をDXの視点で改善してください」「DXの視点を取り入れながら顧客に対する新しい価値をつくってください」のような、テクノロジーとビジネスの架け橋となるようなテーマのワークショップである。
ワークショップで生まれたDX推進のアイデアを通じて、ビジネス畑の人やIT畑の人がお互いの視点を学び合い、将来的に自分に必要なスキルを発見、リスキリングの動機につながるという仕組みだ。
ワークショップで得た気づきがリスキリングの動機に
DXスキルのリスキリングの動機付けにデザイン思考のワークショップが有効であることは分かった。では、企業はどのようにワークショップを進めていけばよいのだろうか。
森氏は、ギブリーが提供するワークショップを例に具体的な進め方を紹介した。
ギブリーでは、デザイン思考を用いたワークショップを年間10社ほど手がけている。ギブリーのワークショップは3時間×5日間もしくは7時間×2日間で行うもので、多くの時間を必要とするため、社員全員が参加するのは非常にハードルが高い。
そこで、まずはギブリーが提供する「Track」のデジタルスキル標準と国家資格試験に準拠した総合試験「デジタルスキルパスポート試験」を受験してもらい、参加者のスキルレベルを正確に把握して、ワークショップの参加者を絞り込むのだという。
ワークショップでは、まず自社の役員や顧客といったステークホルダーを対象にペルソナ化を行い、ペルソナが抱える悩みを書き出していく。そして、それらの悩みに対して、ソリューションを考えていくのだが、その際に「スマートフォン/PCで利用するWebサービスであること」「自社のこれまでの資産を活かして差別化を行うこと」といった制約を設けておくことで、最後のアウトプットに必ずDXの要素が入るようにする。
ビジネス側の人とテクノロジー側の人が、それぞれの架け橋となるテーマのワークショップに取り組むことで、デザイン思考を学び、チームビルディングを行いながら、これまで自分になかった視点や自身の価値を深掘りする。これが何よりもリスキリングの動機形成に効くのだと森氏は強調した。
「ワークショップを通じて、ビジネス側の人は『テクノロジーを学ばないと新しい価値を生み出せないのだな』と気づき、テクノロジー側の人は『自分にはビジネス・マーケットの視点が欠けていたな』と気づく。こうした気づきが動機となり、人材がDX人材へと進化するためのリスキリングへとつながります」(森氏)
ワークショップで生まれる横のつながりと副次的効果
また、このワークショップの効果は、リスキリングの動機形成だけではない。他の部門の人たちと互いに称賛し合いながらアイデアを発散することで、横同士のつながりが生まれる。すると、これまで自部署だけでは解決できなかった問題が、部署間の連携により簡単に解決してしまうというような副次的な効果も期待できる。
さらに、チームで導き出した業務改善策や新商品開発について、経営陣にプレゼンテーションを行う企業も多いという。経営陣にとっては、従業員が考えていることを知る良い機会となり、「そのままタスクフォースをつくって実現に向けてがんばってください」とトップダウンでDXを推進する足がかりになる。「自分たちが出したアイデアだから、そのために学び直さなくては」というさらなるリスキリングの動機にもつながっていく。
「このワークショップは楽しいので、どの企業でも非常に満足度が高いです。とくに若手社員はスキルアップの重要性を実感しますし、テーマを自社にすることで、DXを通じた業務改善や自社のビジネスに対する関心の高まりも見られます」(森氏)
このように、デザイン思考をもとにしたワークショップは、これまでテクニカル面かビジネス面の片方にしか知見がなく、学び直しに対するモチベーションが低かった人材にリスキリングの重要性を気づかせることができる。DX人材へと進化させるうえでは非常に有益な手段だと語り、森氏はセッションを締めくくった。