エンゲージメントの大流行と依存症の狭間で
昨今、HR業界で最も流行しているキーワードが「エンゲージメント」ではないだろうか。組織の活力が成長性そのものを左右するベンチャー企業においてはもちろんのこと、大手企業においても、社長や人事役員自ら「従業員エンゲージメント向上が、当社第一の課題である」と宣言されることも珍しくなくなってきた。そして、多くのHR Techプロダクトが、競うように従業員エンゲージメント向上への寄与を謳っている。
だが、こうしたエンゲージメントの流行については、まだまだ懐疑的な声も少なくない。最も代表的なものは「エンゲージメントを高めることで、業績は本当に向上するの?」であろう。いわゆる投資対効果(ROI)は出るのかということだが、筆者自身、人事コンサルタントとして、多くの企業の経営/人事/現場と接している中では、こういった疑問の声に接することも多い。
結論から言ってしまえば、従業員エンゲージメント≒やる気だけで大成功を収められるほど、現代の市場環境は簡単ではない。そこには当然ながら、経営者の戦略眼や、自社ならではの技術優位・競争優位を築くことも求められる。一方で、そのような優れたポジショニングや勝ちスジを中長期的に(短期的にすら)保ち続けることが難しいこの環境下で、従業員一人ひとりの「もう一歩」の踏ん張りや創意工夫が起こらない会社には、成功の兆しが訪れようもないことも事実である。すなわち、エンゲージメントが高ければ儲かるというほど単純ではないが、エンゲージメントが低い会社が市場を勝ち抜ける可能性は、著しく低い。
仰々しい言い方をしているが、こんな話はどう見てもアタリマエである。それにもかかわらず、なぜ未だに「エンゲージメントを高めれば、儲かるのか?」が論点として挙げられ続けているのか。
1つには「従業員エンゲージメントを高めること」が、いつの間にか「エンゲージメントサーベイのスコアを高めること」にすり替わってしまいがちなことがあるだろう。もちろん、計測できないものは高めることもできないといった主張を否定するつもりはない。ただ、本来はビジネスにおいて勝っていくための「手段」であったはずのエンゲージメントが、スコア化されることで「目的」となり、その上下で人事や経営陣が一喜一憂するようになっているとしたら、それでビジネスがうまく行くようになるのだろうか。「一体、これは何のためにやっているのだ?」という疑問が生じてきても無理はないだろう。
このような状態は、埼玉大学経済経営系大学院 宇田川元一准教授の言葉を借りるなら「依存症」、いわばエンゲージメントスコア依存症である。依存症とは、本当の問題から目を逸らすために、何かにすがりつく行為として生じる。この場合、本来的にコントロールし難い苦痛(VUCAにおけるビジネスの難しさの中でも、個と組織の活力を高め、戦い続けること)を、コントロールしやすい苦痛(エンゲージメントスコア)に置き換え、安心してしまうとも考えられる。
ここで危惧すべきは、エンゲージメントへの注目が、いつの間にかエンゲージメントスコアへの依存にすり替わって、企業経営において本当に為されるべきことが為されなくなってしまうことである。時流に乗ってエンゲージメントスコアを出しているが、まだそれを十分に活用しきれていないという場合には注意が必要である。
従業員エンゲージメントは、厳しい市場競争を勝ち抜くためにも、市場の変化に柔軟に適応していくためにも、欠くことのできないものである。例えば、筆者の所属するリクルートグループは、創業しばらくの頃からずっと「個の尊重」を社是に掲げ、ダイバーシティといった言葉が生まれる前から、学歴や性別に捉われない人材登用をはじめ、一人ひとりの能力を最大限に発揮させ、活かすことを実践してきた。その結果、幾多の新規事業を生み出し、情報誌からインターネットへの転換、国内からグローバルへの拡大と、ビジネスの土俵を大きく変化・拡大させてきている。VUCA、DX……さまざまなキーワードで語られる現代のビジネス環境だが、そういった難局を乗り越えていくために必要なことは、従業員一人ひとりの高いエンゲージメントであると断言できる。
長くなったが、本連載ではエンゲージメントが本当に経営の役に立つのか……もとい、経営に役立てていくためには、エンゲージメントとどのように向き合っていくことが大切なのかについて、複数の視点から考察していきたいと考えている。