前回までの振り返り:エンゲージメントを巡って生じやすい誤解
本連載では、ここまで4回にわたって「エンゲージメント」にまつわる誤解や、陥りがちな落とし穴について考察してきた。そのポイントをまとめると、次のような図になるといえるだろう。
第2回で指摘したのが、「エンゲージメント向上」と銘打ちながら、結局は「従業員みんな」が感じている「組織の課題」を解決しようとしてしまう≒「従業員満足度向上」と何ら変わりない取り組みに陥ってしまう、という構造である。
また、このような取り組みに終始していると「この取り組みは業績向上につながるのか」「そもそも、なぜエンゲージメントを高める必要があるのか」といったやり取りに陥りがちである。このような焦点のズレを解説したのが第1回だ。このようなズレが生じるのは、そもそもの目的が曖昧だからだと論ずることもできるが、第2回で指摘したように、目的と手段の間に乖離があるからこそ、その曖昧さが気になってくる。そういった意味では、目的を再設定するとか、経営陣の口から目的を下ろすようにするといった打ち手は、それだけではあまり意味をなさないといえるだろう。
そして第3回では、エンゲージメントはそもそも「従業員一人ひとり」が「目の前の仕事に熱中」できるようにしていくことではなかったか、という点を指摘した。また、その一人ひとりが非常に多様化している現在では、全体一律の人事施策だけでは真のエンゲージメント向上は実現しづらい。優しい上司ではなく、部下にとっての仕事の意味付けをサポートできる上司の存在がカギになってくるだろうと論じた。
「エンゲージメント向上」とは、本来は経営にとっても人事にとっても現場にとっても、誰にとってもメリットがある取り組みである。言うなれば、それは人間を中心に置いて経営を立て直そうという試みに他ならない。それにもかかわらず、取り組んでいくうちになぜだか焦点がズレてしまう。経営と人事、現場の足並みがそろわなくなってしまう。
第4回でも触れたとおり、そうならないためのポイントは「現実を共に見る」ことである。エンゲージメント向上は、決して空論や概念論ではない。彼はどうなんだ? 彼女はどこでつまずいているんだ? 彼が仕事に熱中できるためには、どんな関わり方をしたらいい?――そういった具体的な話を嫌がる現場マネジャーはあまりいない。そうやって、一人ひとりに対してどうしていけばよいか? を積み重ねていくことこそが、全体としてのエンゲージメント向上を実現していくことにも、もちろんつながってくる。