AIが持てないもの、労務担当者が深めるべきもの
さらに岩田氏は、労務に求められる力として「解釈」「持論」「知識の滋養」の3つを挙げた。特に「知識の滋養」については、日頃から労務に関する知識を蓄えてアンテナを張り巡らせることで、法律に対する独自の解釈や持論を深めていく必要性があると語った。
これを受けて坪谷氏も、「労務の本質は、究極的には『アンテナ』にあるのではないか」と応じる。
「AIはアンテナにはなり得ません。担当者がその場にいて、人間としての感度を持っていることにこそ意味がある。
たとえば『この部署の人たちは、なんだかしんどそうだな。大丈夫かな』と気づいたり、結婚の報告に『おめでとうございます!』と笑顔で返したり。生身の人間がそこにいて、感度を持って何かを感じ取っている。そのこと自体が、何よりも大切だと思うのです」(坪谷氏)
AIは労務の“3つの役割”をどう「進化・深化」させるのか
人事・労務の定義を参加者と共有したところで、本セッションは、労務に求められる役割「OE(オペレーション・エクセレンス)」「RM(ルールマスター)」「ST(ストラテジスト)」の3層構造が、AI実装によってどう進化・深化するかという議論に進む。
岩田氏は、自身が日々AIを活用して得た実感と、参加者から寄せられたコメントを合わせて次のように展望をまとめた。
オペレーション・エクセレンス
「勤怠管理や給与計算、各種手続きなどを滞りなく正確に処理する役割を担うオペレーション・エクセレンスは、これまでの“正確な業務遂行”という枠を超え、最適なAIやSaaSを組み合わせて業務フロー全体を再設計・管理する役割へと進化するのではないでしょうか」(岩田氏)
また、AI導入によってプロセスがブラックボックス化する中、専門知識で内容を補完し、アウトプットを精査してエラーやセキュリティリスクを制御する「自動化ガバナンス」の最終責任を持つことも求められるだろう。
両氏ともに、「AIによって労務は必要なくなるという極論もあるが、実務はそれほど単純ではない」と指摘。AI時代の労務には、AIの監視役としてこれまで以上に揺るぎない知識が求められるようになると強調した。
ルールマスター
ルールに照らして労使トラブルを迅速に解決するルールマスターは、情報の非対称性が解消されることで、より高度な利害調整能力が求められるようになると岩田氏は予想する。
「最近、社労士として受ける労務相談のレベルが劇的に上がっています。従業員側もAIを使っているので、『この点は会社の労務コンプライアンスに問題がある』という部分を的確に指摘されるようになりました。相手も盤石な専門知識を有しているという前提に立って、対話を進める必要が出てきたのです」(岩田氏)
一方で、AIが法律論としての正解を提示できたとしても、人間同士の感情や組織の文脈を踏まえた“納得解・妥当解”の創出まではできない。岩田氏は、紛争解決の鍵は、AIによる論理ではなく、日々の実務で積み上げた「信頼貯金」に基づく人間同士の納得感であると説いた。
ストラテジスト
社会のマクロな動向を捉え、労働者のニーズに合わせて施策を構想するストラテジスト。これまでは“理想論”としてなかなか取り組めなかった領域だが、AIによるビッグデータ解析により進化を遂げるだろう。
「これまでは従業員アンケートを中心にニーズやペイン(嫌なこと、辛いこと)を拾い上げるのが限界でしたが、今後はチャットログや日報、勤怠データといったさまざまなデータをAIで収集・分析することで、従業員自身も気づいていない『隠れたペイン』を把握できるようになるはずです」(岩田氏)
エビデンスに基づいた施策の実行は、経営における労務のプレゼンスを大きく向上させるだろう。しかし同時に、岩田氏は「データはあくまでも過去の情報」であることを強調する。
「AIを使う動機も大事。従業員がどうすればもっと働きやすくなるのかという、未来への意思や人間観を描き、労務としての『持論』を持ち続けることが、AIを使いこなす動機として重要になると思っています」(岩田氏)
最後に坪谷氏も、「AIやコロナ禍といった社会や価値観の変化は、あらゆる流行を凄まじい速度で起こします。その中で我々人間は、混乱し、疲弊することもあるでしょう。そんなときこそ目的に立ち返る必要があると思っています。今日の議論が、みなさんの立ち返る場所になればうれしいです」と締めくくり、セッションは幕を閉じた。

