エンジニア1人からSaaSベンダーを目指した
――なぜ広告代理事業からSaaS事業へとビジネスを切り替えようと思われたのでしょうか。
広告代理事業は、広告商品を仕入れて売るというマージンビジネスで、競合もたくさんいます。そうした中で戦うため、弊社はマージンを下げたり、対応時間を広げたりして、競合との差別化を図りました。おかげで、創業から5年で売上を大きく伸ばすことができました。
しかし、このやり方には限界がありました。メンバーは疲弊し、離職率も40%ほどにまで上がっていたのです。「今のやり方で続けるのは、もう無理だ。競争優位性のある“新しい武器”を作らなければ」。そう痛感していました。
――そこからすぐ、BOTCHANの開発に乗り出されたのですか。
2年くらい紆余曲折がありました。当時のトレンドだったAIやIoT、コンテンツマーケティングなど、いろいろなものに手を出しました。今ひとつ、これに賭けようという決め手がない中で、「せっかく長年、マーケティング領域でビジネスをしてきたのだから、Web接客ができるチャットフォームを作るのが、一番自分たちらしいな」と思い、そこから2〜3年かけてBOTCHANの開発を進めていきました。
――当時は、まだ営業主体の組織だったんですよね。
はい、全社で30名くらいいて、そのうち約半分が営業でした。残りの半分は(広告の)運用コンサルタントです。本当にマンパワーに依存した属人的なビジネスをしていましたね。
――エンジニアはいなかった?
CTOの1人だけでした。
――何かを開発しようにも、リソースが足りない気がします。
自社サービスを何にしようかと模索していたとき、副社長とともに東南アジアへ視察に出かけたのですが、オフショアでラボ型開発を進めるのはどうか、という案が出ました。日本国内でエンジニアを採るのは難しく、予算的にもそれが一番よいだろうと、ベトナムにある日系の会社とパートナーシップを組むことにしました。そこから副社長とCTOがベトナムに半常駐しながら、パートナーとともに5〜6名のラボを立ち上げていきました。