「コーゼーション」と「エフェクチュエーション」
起業家研究者であるサラス・サラスバシーは、成功する連続起業家が共通して用いるアプローチを「エフェクチュエーション理論」として理論化しました(サラス・サラスバシー『エフェクチュエーション』2015年、碩学舎)。
従来のビジネス戦略論が、目標を明確に設定し、その目標達成のために必要なリソースを計画的に調達・活用していく「コーゼーション(因果論)」的アプローチを重視するのに対し、「エフェクチュエーション」は、未来を完璧に予測することが難しい不確実性の高い状況下で、現在手元にあるリソースを最大限に活用し、小さな試行錯誤を繰り返しながら、未来を創造していくアプローチです。
組織文化は「生き物」であり、常に変化し続けます。そのため、明確な完成形を最初から描き切れるものではありません。したがって、組織文化のデザインには、明確なロードマップを描くコーゼーション的なアプローチよりも、変化に柔軟に対応するエフェクチュエーションの考え方のほうが、非常に示唆に富んでいるのです。
組織文化のデザインに活かす「エフェクチュエーション」5つの原則
エフェクチュエーション理論には、以下の5つの原則があります。
- 1手中の鳥(Bird in Hand)の原則
- 目的を明確にする前に、まず「自分は何者か(Who I am)」「何を知っているか(What I know)」「誰を知っているか(Whom I know)」といった、現在手元にあるリソース(能力・知識・ネットワーク)を最大限に活用することから始める。
- 2許容可能な損失(Affordable Loss)の原則
- 予測不可能な将来に大きなリターンを期待して多額の投資をするのではなく、自分が許容できる範囲の損失を見極め、その範囲内で試行錯誤を繰り返す。
- 3クレイジーキルト(Crazy Quilt)の原則
- 競争相手を排除するのではなく、さまざまなステークホルダー(顧客・競合・供給者など)と提携し、協調関係を築きながら新たな市場や機会を創造する。
- 4レモネード(Lemonade)の原則
- 予期せぬ出来事や失敗をネガティブなものとして捉えるのではなく、「酸っぱいレモン」から「甘いレモネード」をつくるように、新たな機会や学びの源として活用する。
- 5飛行機の中のパイロット(Pilot in the Plane)の原則
- 環境に受動的に適応するのではなく、自らが主体的に未来を創造していくという意思を持つ。
これら5つの原則はいずれも、不確実で常に変化する環境の中で行動しながら考え、有効な手段を見つけていくために成功する連続起業家が共通して行う重要な原則ですが、本稿ではこのエフェクチュエーションの5原則をヒントに用いて、HR部門が良い組織文化のデザインを実践するための具体的な施策を考えてみたいと思います。
1手中の鳥(Bird in Hand)の原則:現状のリソースを最大限に活用する
理想の組織文化を追い求める前に、まずHRチームは、現在自社にどのような「手中の鳥=活用可能な現有リソース」があるかを明確にする必要があります。これは、現時点での従業員のエンゲージメントレベル、既存の制度の強みと弱み、組織内の隠れた才能や知識、そして経営陣や各部門との関係性など、多岐にわたります。
たとえば、従業員アンケートで示唆されている課題があれば、それを解決するための小さな試みを始めることができます。特定の部門で自律的な働き方が根付いているなら、その成功事例を他の部門に横展開する方法を検討できます。重要なのは、完璧な状態を待つのではなく、今あるリソースを使って小さな一歩を踏み出すことです。
2許容可能な損失(Affordable Loss)の原則:小さな試行錯誤を繰り返す
組織文化の変革は、大規模な投資や抜本的な制度改革から始める必要はありません。むしろ、リスクを最小限に抑えながら、さまざまな試みを繰り返し、その効果を検証していくことが重要です。
たとえば、新しいコミュニケーションのルーティンを導入する際、全社一斉に展開するのではなく、まずは特定の部署でパイロット運用してみる。その結果を分析し、課題を修正しながら徐々に展開範囲を広げていくといったアプローチが考えられます。もしうまくいかなくても、失うものは小さい。しかし、そこから得られる学びは、次の試みへと活かされます。
3クレイジーキルト(Crazy Quilt)の原則:部門間連携と協調を促す
組織文化は、HR部門だけでデザインできるものではありません。経営層、各事業部門、現場の従業員、場合によっては顧客やパートナー企業など、多様なステークホルダーとの連携が不可欠です。
HRチームは、これらの多様なアクターを結び付ける「キルトの織り手=コーディネーター」のような役割を担うべきです。部門横断のプロジェクトチームを立ち上げ、異なる視点を持つメンバーが組織文化の課題について議論する場を設ける。あるいは、経営層との対話を密にし、彼らのリーダーシップを通じて文化変革のメッセージを浸透させるなど、積極的に協調関係を築き、共創を促すことが重要です。
4レモネード(Lemonade)の原則:予期せぬ課題を成長の糧にする
組織文化のデザインを進める中では、必ず予期せぬ問題や抵抗に直面します。従業員からの反発、制度導入の失敗、期待通りの効果が得られないなど、さまざまな「酸っぱいレモン」が出てくるでしょう。
しかし、エフェクチュエーションは、これらをネガティブなものとして捉えるのではなく、むしろ新たな機会や学びの源として活用することを促します。なぜ反発が起きたのか、何がうまくいかなかったのかを深く分析することで、組織の隠れた課題や従業員の潜在的なニーズを発見できるかもしれません。失敗を恐れず、そこから学び、次のアクションにつなげていく姿勢が求められます。
5飛行機の中のパイロット(Pilot in the Plane)の原則:HRチームが主体的に未来を創造する
HRチームは、単に経営層の指示を待つだけでなく、自らが組織文化のデザインをリードし、未来を創造していくという強い意思を持つべきです。もちろん、経営層との連携は不可欠ですが、組織文化の専門家として、主体的にビジョンを描き、戦略を提案していく姿勢が求められます。
常に組織の「今」を深く理解し、望ましい「未来」に向けて、具体的な「制度」と「ルーティン」を通じて組織を「組織化(Organizing)」していく。この能動的な役割を果たすことで、HRチームは真の意味で組織文化のデザインの鍵を握る存在となるのです。