パネリスト
- 中村圭志氏(株式会社ISAO 代表取締役)
- 秋山 瞬氏(株式会社ネットプロテクションズ 執行役員)
モデレーター
- 山田裕嗣氏(一般社団法人 自然経営研究会 発起人/代表理事)
フラット化とは意思決定者の固定化を防ぐこと
山田裕嗣氏(以下、山田):ISAOさん、ネットプロテクションズさんとも、もともとヒエラルキー型の組織だったのですが、組織のフラット化と情報のオープン化[1]にチャレンジされ、現在の新しい組織で経営されています。創業当初からではなく、ある時からフラット化・オープン化に踏み切った例として、会場の皆さんにとって参考になるお話があるかと思っています。
まず、ISAOの中村さんから。変えようと思い立ったなにかしらのタイミングやきっかけ、また、なぜそうなったのかというところをご紹介いただければと。
中村圭志氏(以下、中村):もともとは5~6階層ある小さい会社で、小さいと言っても170人くらいはいたんですけど、とにかく、何をやるにも意思決定が遅かったんですね。で、やっぱり早くするにはフラットにしていくしかないなと。最後はあるきっかけで完全にフラットになったんですけど、その方向に行ったのは本当に、徐々に徐々に、でした。
山田:徐々にというのは、どのくらいのスパンをかけられたのかイメージはありますか。
中村:2~3年ですね。最初はマネージャーインフレみたいな状態だったんですが……。
山田:マネージャーインフレ? どういうことですか。
中村:いっぱい肩書のある人がいるんですね。そんなに要らないだろう、というくらい。でも肩書があると役職手当が出るなど人事制度も連動するんですよね。なので役職手当を廃止して、そのうえで、同じレベルにいる人達の給与を一律に若干引き上げたりするなど、変えたことによるデメリットがないように、少しずつフラットにしていきました。
山田:「部長だった人はどうなるんですか?」という質問をよく受けるそうですが、それはどうだったんでしょうか?
中村:ISAOで“バリフラット”と呼んでいる、スーパーフラットでスーパーオープンな組織にしたのが2015年なんですけど、その時に部長だった人は今も普通に働いています。中間管理職のように、現場であんまり生産しない仕事よりも楽しい、と感じてるみたいですね。事業に対してインパクトを与えられるという意味で。他にも、もう60歳になる人もいるんですけど、「人使いが荒い」とか言いながら楽しそうに仕事しています。
山田:一方で、ネットプロテクションズさんは人の分布なども異なると思うのですが、もともと何がきっかけで(フラットな組織を)始められたんでしょうか?
秋山 瞬氏(以下、秋山):ちょっと背景を説明すると、会社設立が2002年ですが、その当時はオーナーが今の社長ではありませんでした。買収して、出向転籍したのが現在の社長でして、そこから徐々に組織を作っていった、という歴史があります。株主も4回変わっていて、それが組織づくりにも影響していますね。ここだけでたくさん語れちゃう感じですが、いったん端折ります。一番のきっかけになったのは2013年、つまり5~6年前です。当時社員が50人くらいだったんですが、その時に「会社のビジョンを作ろう」となったのが一番大きかったかなあと思います。
山田:作る前後では、どういう感じだったんですか?
秋山:先ほどの中村さんのお話でいうと、私たちの会社の特徴的なところは新卒社員が多いことなんですよ。今も正社員が130人くらいいる中で、85%が新卒で入ったメンバーですし。50人のときも半分以上はプロパーNP(ネットプロテクションズ)の新卒メンバーだったので、そういうところがちょっと特徴的だったかなと。そのメンバーで「自分が社長だったらどうしたいのか」を当事者として本気で考えてね、ということをやろうとしたのが、そのビジョンづくりでして。結果ビジョンが作られて、合わないメンバーは卒業していき、いったん再スタートが切れた。そこでぐぐっと進んだ、みたいな感じです。
山田:やっぱり多少の人の入れ替わりはあったと。
秋山:そうですね。結構入れ替わりましたね。
山田:ISAOさんはどうでしょう? 切り替わりのタイミングって、差が出やすいところだと思うんですけど。
中村:フラットにしていくタイミングで辞めた人は結構多かったですね。ただ、会社の調子が悪かった時期でもあり、何が理由で辞めたのかはちょっと微妙ですね。でも、最終的にバリフラットにしたときに辞めた人はいませんでした。
山田:なるほど。みんな時間をかけて慣れていっていたと。
注
[1]: 「フラット化」は上司・部下といった階層を圧縮あるいは排除した組織にすること。「オープン化」は従来会社側が保持し、社員は見られなかった情報を、社員なら誰でも見ることができるように公開すること。