エンジニア採用に押し寄せる環境の激変
ギブリーは「すべての人に成長を」という経営理念を掲げ、HR Tech事業、Conversation Tech事業、インキュベーション事業を展開している2009年設立の企業である。同社でエンジニア向けのHR Tech事業のリーダーを務めるのが山根氏だ。2019年に新卒採用の責任者に就任して以来、採用業務への関わりを通して、エンジニア採用を取り巻く環境の変化を実感しているという。
同社が手がけるHR Techの中核プロダクトが、プログラミング学習・試験プラットフォーム「track(トラック)」だ。導入実績は国内150社以上で、10万人の受験データを扱っている。数年前までのtrackユーザーはIT系企業が中心であったが、最近は大企業からスタートアップまで幅広く使われるようになってきたと山根氏は話す。IT企業以外でもエンジニアが求められていることを背景に、幅広い導入需要が出てきているのだ。この他にもHR Techプロダクトとして、プログラミング学習サービスの「CODEPREP」、新卒向けコード就活サービスの「codesprint」を提供している。
山根氏が最初に訴えたのが、「エンジニア採用の市場環境は大きく変化しており、今までの成功体験が通用しなくなってきていること」である。例えば、経産省が2019年4月に発表した「IT人材需給に関する調査」によれば、2030年にエンジニアが45万人足りなくなるという予測がある。このギャップは今後も広がる可能性が高く、優秀なエンジニアの採用をめぐる争奪戦はこれまで以上に激化することになるであろう。
新卒採用と中途採用の隔たりも小さくなってきた。社会人になってから業務を通じて先端技術に関するスキルを会得するのではなく、学生時代から研究開発の実績を積み、先端技術を活用できるスキルを備えた人材が増えている。サイバーエージェントやLINEのようなメガベンチャーだけでなく、伝統的な大企業も新卒の一律初任給を見直すなど、これまで一般的であった「新卒一律給与」「新人一括研修」の制度運用が機能しなくなっていることを示す例は多い。
さらに、中途市場でも変化が起きている。多くの優秀なエンジニアは、大手のカンファレンスや勉強会などで築いた人脈を駆使し、知人の紹介で入社する。企業が欲しいと思う人材ほど、転職サービスに登録しないため、採用したくてもそれ以前の接触すらできないのだ。
となると、いつまでも過去の採用方法に執着しているわけにはいかない。リファラル採用やダイレクトリクルーティングに対応する必要もあれば、大量一括採用自体を見直し、もっと細かい職種別採用に対応することも必要になる。選考では、長く働いてもらうことを前提にするのではなく、スキルフィットをより重視する方向に変化している。その結果、以前は平均2か月かかっていた選考期間が、もっと短期間(平均2週間程度)で終わることも珍しいことではなくなった。
重視すべきは「Candidate Experience」
こうした状況を踏まえ、山根氏は「人事は候補者と企業の関係が対等な立場に近づいていることを理解しなくてはならない」と指摘した上で、「年齢、性別、経験に限らず、優秀な人材を正しく見極め、自社の魅力を高め、選んでもらう道筋を作るべき」と訴える。
また、エンジニア採用で認識しておくべきこととして、技術トレンドの変化への理解も重要だという。例えば、プログラミング言語一つをとっても、国内のプログラミング言語別平均年収ランキングを比較すると、2008年から2017年で上位5位が完全に入れ替わっている。常に自分のスキルを高める努力を続けているエンジニアを引き付けるには、「人事も社内でどんな先端技術が使われているかを理解することが必要」だと山根氏は説く。
その山根氏が、これからのエンジニア採用で重要視するのが「Candidate Experience(候補者体験/選考におけるユーザー体験)」である。Employee Experienceが組織の中で社員が働くときの体験に焦点を当てたものであるのに対し、候補者が採用に至るまでの体験を指す。候補者とのタッチポイントはその会社を知るところから始まり、接点を持ち、実際に会い、採用に至るまでデジタルもリアルも様々なものがあるが、どのタッチポイントからでも快適な体験価値を提供することを重視する考え方といえるだろう。
米国ではこのCandidate Experienceに注目し、採用プロセスを整備する企業が増えている。GoogleはCandidate Experience Managerを任命していたり、AirbnbはCandidate Journey Mapを作成し、候補者が採用に至るまでのジャーニーを継続的に見直していたりするのはその代表例である。
さらに、山根氏は海外の複数の調査結果を引用し、Candidate Experienceの向上が企業にとっていかに重要なものであるかを説明した。例えば、米人材派遣会社のKelly Servicesの調べによれば、優れたCandidate Experienceを提供されたとしたら、候補者の「95%が再び選考を申し込む」「97%が知り合いにも同様に進める」「88%がその会社の製品を購入する可能性が高い」「55%がソーシャルメディアなどで体験を積極的に話題にする」ことがわかっている。この結果は、マーケティングにおける顧客体験の向上と同様に、採用時の体験も候補者とのエンゲージメント構築に役立つことを示唆する。
また、IBM Smarter Workforce Instituteの調査結果でも、Candidate Experienceが候補者の意思決定に重要な影響を及ぼすことがわかっている。選考プロセスに満足した候補者の54%が採用オファーを承諾しているが、満足していない候補者が採用オファーを承諾したのは39%と差がある。また、最終選考で就労条件、給与、福利厚生や成長機会の有無などを比較検討しているときには Candidate Experienceが決定要因になるという。
こうしたCandidate Experience向上の取り組みは、まさに「攻めの採用」の実践だろう。さまざまなアクションが求められる。山根氏も「採用担当はオペレーティブな業務をすることであると捉えられがちだが、実は革新の余地が残っている」と強調した。
ペルソナとジャーニーマップを作ろう
Candidate Experienceが重要ということはわかったが、具体的にどんな採用プロセスに変えなくてはならないのか。山根氏が勧めるのは、自社がターゲットとする候補者のペルソナを決めることと、ジャーニーマップを作ることの2つである。
これら2つを作ることの意義は、現在展開している施策を候補者視点で俯瞰的に見られる点にある。例えば、「認知・興味」のフェーズであれば、多くの企業がすでに「採用ノベルティの充実」「学校訪問」「外部イベントへの登壇」など、様々な施策を展開しているであろう。だが、施策は万人向けではなく、自社が必要としている候補者の心を捕まえられるものにしなければならない。ペルソナとジャーニーマップからはそれを検証できるのだ。
ペルソナとは、獲得したい人材像をモデル化したものであり、できるだけ詳細に記述する。こうすることで、採用したい人材の心理と態度の変容を時系列に沿って整理したジャーニーマップを作ることができる。そのジャーニーマップは、採用戦略の指針になるものだが、作って終わりではなく、継続的にメンテナンスをすることも必要になる。
加えて、エンジニア採用において候補者の体験価値を向上させるには、人事が現場のエンジニアと協力体制を構築することが不可欠と山根氏は説く。エンジニアの気持ちがわかる現場の協力がなければ、候補者本位の体験を設計できないからだ。
苦しんでいるならゼロから採用を考え直す
最後に、ギブリー自身がどのようにしてエンジニア採用に成功しているかが紹介された。同社は、従業員数100人弱のSaaSベンダー。うちエンジニアは20人弱。「ベンチャーとして頑張っているが、とても有名な会社ではない」と山根氏は自社を評価するが、年に数人程度のエンジニアは求人を出してから1.5か月程度でクロージングに至るという。その背景には、エンジニア主体で採用プロセスを設計していることがある。
「当社が目指しているのは、エンジニアにとってより良い選考の体験を作ること。エンジニアが正しく、価値観をアピールでき、お互いの理解を最大化する体験提供を心がけている」(山根氏)
また、そのために採用マーケティングにも取り組む。「候補者ジェネレーション」から始まり、「採用選考」「候補者ナーチャリング」「オファー/クロージング」に至るまでのプロセスを意識しているという。
「候補者ナーチャリング」プロセスでは、trackを使ったテクニカルスクリーニングと、ペアプログラミングでの共同開発体験の提供を重視している。trackを使ったテクニカルスクリーニングの効用は、候補者と採用担当両方の負担を減らし、ミスマッチのない見極めができることにある。trackでのスキルチェックはオンラインで行うため、候補者にとっては時間や場所の制約を気にする必要がない。採用側としても、蓄積してきたデータとの比較で、客観的なスキル評価ができる。さらに、事前にスキル評価が済んでいる分、最後の面接では自社のカルチャーフィットの確認に注力できる。
このような自社での成功体験を基に、山根氏はCandidate Experienceでエンジニア採用を劇的に飛躍させる可能性があると述べ、「体験設計は面白い。小手先の改善で苦しんでいるならゼロから考え直してみてはどうか」と提案し、講演を終えた。