これは今から10年ほど昔の話になります。
私は“ITの本拠地”である東京・渋谷に本社を置く大手IT企業から、人事として内定をいただきました。刻一刻と変化を続け、急拡大し続けるIT業界は、私の憧れの的でした。
実は、自分が大手IT企業に入社できるとは夢にも思っていませんでした。というのも、20代後半で営業責任者として勤めた介護業界最大手の会社(東証一部上場企業のグループ会社)で倒産を経験したからです。おまけに、それからの転職活動では何十社も不採用。そんな失敗続きの自分を、急成長を続ける企業が必要とするとは思えなかったのです。
ただ、営業責任者から人事へジョブチェンジしたきっかけも倒産の経験でした。倒産を目の当たりにして悩み続けているとき、経済界の大物と呼ばれる方から次のような言葉をかけられたのです。
「“人”が“止まる”と書いて企業の“企”です。あなたは人が止まる会社を作ることができましたか? あなたの倒産経験は必ず会社を救い人の力になることができます。どうか人が止まる会社を作ってください」
この一言で、私は人を司る人事になろうと決意したのでした。
ともあれ、華々しいオフィスを構える会社に、それも憧れのIT業界でもう一度帰ってくることができました。人事も新しい挑戦です。これは私の人生を賭けた敗者復活戦だ! という気持ちで入社当日を迎えました。
その日、私は白いスーツとハイパーブランド(エ○メス)のスカーフを身に着けて出社しました。気合い全開です。ところが、オフィスに入り周囲を見渡すと、デスクに向かっている社員のほとんどはカジュアルな服装。自分が場違いの出で立ちであることは“秒”で理解できました……。
それでも朝礼終了後、私は前職で培った経験から、入社のご挨拶回りをするべくデスクを回りました。けれども、歓迎ムードはありません。社員の反応も薄い。人の目を見ずにディスプレイ越しで挨拶をする20代半ばの男性社員。「挨拶とか大丈夫なんで、話があれば明日以降ミーティングを入れといてください」と席を立つ責任者。そして、その私の姿を見てクスクスと笑う女子社員たち。
自分のカラーがこの会社の雰囲気に合っていないことを察し、居場所が見つけられない居たたまれなさから、私は女子トイレに逃げ込みました。
人生最大のカルチャーショックを受け、「外から見ていたキラキラした世界とは全く異なっていた。以前自分が住んでいた世界の常識がここでは非常識なのかもしれない。30代にして私はえらい世界に飛び込んでしまったのかもしれない……」とトイレにこもり、頭を抱えていました。
すると、外から女性社員たちの会話が聞こえてきました。
女子A「なんか今日、面白い人が入社してきたよね? ほらっ、挨拶回りしてた人」
女子B「あっ! 白スーツ着てたなんか秘書っぽい感じの人でしょ?」
外から聞こえてくる女性社員たちの会話は、恐らく私への批判でしょう。握りしめた掌が汗ばみました。
女子A「社長の秘書なのかな? なんかIT業界にいなそうな人じゃない? 何してきた人なのかな?」
女子B「興味あるよね。でもさ、さっきエンジニアに一生懸命挨拶してたじゃない。それをスルーするって超ヒドくない?」
女子A「ほらっ、あのエンジニアって理系男子だから女子慣れしてないじゃん。教えてあげないと」
女子B「あの人、面白そうだし、今度ランチに誘ってみるわ~」
私を批判したり否定したりするものではなかった……彼女たちの会話にうれしさが込み上げてきました。同時に、カラーが違うから面白いと感じてくれていた人たちがいることがわかって、自然と涙もあふれてきました。
そして、超理系出身のエンジニア男子は、女子に積極的に来られるのが苦手ということも理解しました。
私は、他の人よりもちょっと勢いと圧があるかもしれない。けれども、アプローチの方法が間違っていたわけではなかった。「席に戻って、あの女子社員たちに私から話しかけてみよう!」と少しだけ自信を持つことができました。
ここから始まった「完全アウェイでも突っ込め!」という精神が、これからの人事人生を大いに救うことになろうとは、この時点では全く私は気づいていませんでした。