キャリア自律をめぐる2つの意図の違い
「人生100年時代」が話題となる際に、必ずといってよいほど出てくるキーワードが「キャリア自律」です。キャリア自律についてはさまざまな解釈がされていますが、ここでは「めまぐるしく変化する環境の中で、自らのキャリア構築と継続的学習に取り組む、生涯にわたるコミットメント」と定義します。
このキャリア自律をめぐり、組織視点での意図と個人視点での意図の食い違いから、「キャリア自律が社員の離職につながるのではないのか」という利益相反の解釈が生まれてしまったように思います。
組織視点でのキャリア自律は、高度経済成長の終わりに伴い、商品やサービスのコモディティ化で企業間の競争が激しくなったことや、労働人口の減少と昨今目立つ人材の流動化により生産性のさらなる向上が求められていることから、「社員が組織の中でパフォーマンスを最も効率良く上げる」ことに重きを置くものでした。いわば、組織の中で生き残る力を高め、組織の中で主体的にキャリアを形成することを是としてきたわけです。
極端な言い方をすれば、社員がその企業に「所属している限り」において、主体性を発揮しながら社内の仕事で成果を上げてほしいというのが、組織側の本音ではないでしょうか。そのような組織で求められるキャリア自律は、当然ながら企業内キャリアに限定されています。
一方、個人視点でのキャリア自律は、人生100年時代において、組織内の縦方向のキャリア形成に縛られず、それぞれの多様なキャリアゴールに向けて臨機応変に組織内外の上下、横、斜めを自由に行き来し、柔軟に経験を積んでいくことをいうようになりました。組織という枠組みを超え、「社会の中でキャリアを主体的に形成していく」ことを求めているわけです。
キャリア開発論にて著名なビバリー・ケイ氏は、こうした変化の潮流をキャリア開発のあり方が「ラダー(はしご)型」から「ボルダリング型」へ変化していると表現します。
このように、組織視点と個人視点で「キャリア自律」の意図に微妙な差異が生まれてしまったのが現状です。