経営層との課題合意と現場の巻き込みをどう進めたか
人事施策、特に人材育成やマネジメント領域の施策は「成果が見えにくい」という特徴があり、経営層や上層部との「課題合意」を得ることが非常に難しい。現場は困っていても、経営層からは「本当に効果があるのか」「今はそんな余裕はない」と却下されがちだ。
また、実際に受講する現場のマネージャーにとっても、「なぜこの施策を今やらないといけないのか」が腑に落ちなければ、乗り気にはなってもらえないという「巻き込みの問題」が存在する。
喜瀬川氏も、研修の導入時に大きなハードルを感じていた。坂井氏の研修はボリュームが大きいほか、100~200名のマネージャーの時間を割くことになり、コストもかかる。そのため、「何のためにやるのか」という合意を得ることが重要だった。
喜瀬川氏はまず人事部門の上長に対し、「1つの課題に対してではなく、現在人事として抱えている複数の課題に対して効く施策だと考えている」と説明。また、事前に坂井氏の資料を読み込んで勉強していたため、疑問に対しても根拠を持って回答することができた。結果として、上司や環境にも恵まれ、「1回やってみたら」と背中を押されたという。
一方で、経営層に対して課題合意を得るための技術(Issue Selling)として、坂井氏は「遅行指標」ではなく「先行指標」で説明することの重要性を説く。離職率の悪化や売上の低下といった遅行指標が現れた段階では、すでに組織の状況は末期に近い。
「マネージャーの残業時間の約30%が部下の面談などに費やされており、その結果、年間約2000時間もの戦略的業務が失われている。その時間があれば新規事業を1つ生み出せるかもしれない、といった文脈で説明すると、経営層にも課題が伝わりやすくなります」(坂井氏)
しかし、最も難しかったのは事業部門への説得だった。研修が導入される際、多くの受講者は「また人事がよく分からない施策を持ってきた」と冷ややかな反応を示すことが多い。
「受講者の皆さんが『また人事が研修を持ってきたな』と感じるだろうという前提で話を進めました。そのうえで、『最終的な目的はマネージャーの皆さんの負荷を下げることなので、そこまで責任を持って伴走します』と説明しました」(喜瀬川氏)
現場の巻き込みにおいて大きな転換点となったのは、具体的なアクションレベルへの落とし込みだった。マネージャーは多忙であり、重いワークを日常に組み込むことは現実的ではない。
「『このプログラムは、現場で“一言足すか引くか”を実践していただくためのものです』と伝えたところから、現場の反応が変わりました。低コストで実践でき、一言で状況が好転することを説明すると、事業部の方々にも納得していただきやすくなります」(坂井氏)
喜瀬川氏はこのプログラムを「組織のサプリ」と名付けて現場に展開している。抽象的な利益ではなく、自分たちの実利になる「用具的正当性」を伝えるためだ。
「この研修を受けて、理想のマネージャーになっていただきたいわけではありません。研究に裏打ちされた再現性のある解決策をいくつか提供するので、それを辞書や『家庭の医学』のように手元に置いておき、何か課題に直面したときに活用していただきたいのです」(喜瀬川氏)
さらに、巻き込みの順序についても工夫があった。喜瀬川氏は、全社に一律で提案するのではなく、エンゲージメントサーベイの結果を通じて、すでに人が抜け続けて困っていたり、疲弊していたりと、切迫した課題を抱えている部署から優先的に声をかけた。結果が悪く「何とかしないとまずい」と本気で思っている層に対し、理論に基づいた具体的な解決策を提示することで、強い腹落ちと協力を引き出すことに成功したのだ。

