やり切る覚悟と人に頼る余白の両方を持つ
施策を推進する人事担当者が現場から「信頼」を得ていなければ、どのような優れたプログラムであっても現場の賛同は得られない。
信頼を構築するためには、「能力(専門性)」「善意(自分たちの味方であるという認識)」「誠実性(インテグリティ、言行一致)」の3つの要素が不可欠であると坂井氏は解説する。
喜瀬川氏は、まさにこの3つの要素を体現していた。研修の場において、単にオブザーバーとして出欠確認をして終わる人事担当者もいる中で、喜瀬川氏は常に前のめりで受講し、一番質問をし、一番メモを取り続けていた。この「専門性を高めようとする姿勢」こそが、事業部側から「この人は能力がある」「相談すれば適切な助言がもらえる」と認識される第一歩となった。
さらに、川崎重工の取り組みで特徴的だったのは、喜瀬川氏だけでなく、本社の人事担当者含め複数名体制で研修に伴走していた点である。複数の人事が同時に研修中のチャット欄で、受講者への問いかけや「こういうときはこう発言するとよい」といったアドバイスをひたすら書き込み続けたことで、場が活性化し、受講者も積極的に参加せざるを得ない雰囲気が醸成された。
また、研修を一過性のものにしないための「誠実性」として、喜瀬川氏は長期的な視点での伴走を自らに課していた。
「この研修の運用と伴走は、最初はすべて自分ひとりでやり切ると覚悟を決めて宣言しました。また、メンバー層にまで展開してこそマネージャーの負荷軽減につながると思うので、そこまで責任を持ってやりますと具体的にお伝えしました」(喜瀬川氏)
研修が終わった後も、学びの振り返りポイントを共有し、自らがメンバー層への展開を引き受ける姿勢を見せることで、「人事の都合ではなく、本当に自分たちの利益を考えてくれている(善意)」「言ったことを最後までやり切ってくれる(誠実性)」という信頼が蓄積されていった。
「人は言動が一致している人を信頼します。何を言っているかではなく、何をやっているかが組織の文化になります。『振り返りをしましょう』と言ったら確実に実行し、『メンバー層に研修を展開しましょう』と言ったらそのとおりにする。そうした姿勢が大切です」(坂井氏)
とはいえ、研修が数百人規模に拡大していく中で、マンパワーによる伴走には限界も訪れる。そこで喜瀬川氏は、研修で学んだ理論が日常業務の中で「自動再生」される状態を目指し、日常的な壁打ち相手としてのAIの活用も視野に入れ、さらなる仕組み化を模索しているという。
また、喜瀬川氏は自身の課題として、伴走やメンバー層への展開を1人で完璧にやり切ることの難しさも吐露した。ライフイベントや業務役割の変化の中で、長期にわたって施策を継続することは容易ではない。しかし、その過程で重要な気づきを得たという。
「私ひとりで必死に進めようとしていた時期よりも、『いろいろな人の助けがないと進まない』と周囲に頼るようになった今のほうが、取り組みの輪が大きく広がっています。『助けてください』と言える余白を持ったほうが、結果として物事は前に進むのだと強く感じています」(喜瀬川氏)
こうした試行錯誤に対して、坂井氏も長期的な視点での種まきの重要性を強調する。
「人が変わる瞬間や、人に頼らなければと気づくタイミングは、ライフイベントなど1人では限界だと悟ったときに訪れます。いつか分かってもらえればいいというスタンスで、地道に種まきや水やりを続けることが実際には必要なのだと思います」(坂井氏)

