外注から内製化へ、マネジメントも変わった
マスクド:オプトに入社するまでの経歴・経緯を教えてください。
平岩:本格的にコンピュータに触れたのは、1浪して大学に入学した頃ですね。ADSLが普及し始めた時期で、ホームページの作成やFlashを触ったりしてました。2ちゃんねるの閉鎖騒動などもありましたね。
マスクド:懐かしいワードです。
平岩:卒業後はiモードの勝手サイト(キャリアメニュー非公式サイト)とかガラケー(携帯電話)のゲームなどを手掛けるソフトウェア会社に就職し、エンジニアとしてのキャリアがスタートしました。そこから新しい場所で活躍したいと思って、10人前後のベンチャーに飛び込みました。そこで右も左も会社法も分からないのに、代表を任されることになったんです。当然うまく行かずに辞めてフリーランスをしていた頃、以前のオーナーに声をかけられて、ネット広告系のスタートアップ立ち上げに携わりました。
マスクド:ここで広告に繋がるんですね。
平岩:オプトグループが一部出資して立ち上げた、Demand Side Scienceという会社の共同代表に就任したんです。その後、Demand Side Scienceの事業も落ち着いた頃、オプト社内で自社システムの内製化を進める気運がありました。競合のネット広告会社がエンジニアの採用強化や内製化を進めており、危機感もあったのでしょう。内製化する最初のターゲットとしては「ADPLAN」という自社の広告効果測定ツールでした。開発の外注化が進められた結果、情報がサイロ化して社内で開発できる人間が少なくなっていたのです。
マスクド:外注化を進めた結果として問題視される点ですね。
平岩:いわゆるIT負債になり、その対策のための開発チームを立ち上げることになりました。私もオプトへ入社したのですが、このとき、社長の金澤や執行役員の石原が「Opt Technologies」というブランドを作って音頭を取ってくれました。これまでの営業中心だったオプトに、エンジニアという存在を取り込むには「Opt Technologies」という箱と求心力が必要だと考えたからです。そこにエンジニアの居場所を作り、ADPLANの内製化がスタートしました。
ADPLANは大量のデータを扱う製品なので、大量データ処理に関するノウハウや技術が培われていきました。内製化のメリットの一つは、そういった技術が他のデータを扱うプロダクトへ転用できるようになったことですね。また、ちょっとした機能の改修でも、営業とエンジニアが相談できるようになり、要望の反映が早くなったとは思います。もちろん、それでもビジネス側のニーズと開発の都合で衝突することはあります。ただ同じ会社ですから、衝突してチームが空中分解してはいけません。そこでスクラムによる開発を導入してもらうなどして、全員が同じゴールに向かう文化を醸成していきました。これもADPLANの内製化によって社内に根付いたものだと思います。
マスクド:組織運営において、オプトに入社するまでの経験も活きていますか。
平岩:以前の経験で活きているのは、エンジニア出身のマネージャーにありがちなマイクロマネジメントをやりすぎて失敗したことです。「自分がやったほうが早い」と思ってプレイヤーの視点になりすぎると、組織としてはワークしなくなって失敗します。だからこそ、マネージャーとプレイヤーの違いをよく考えて行動するようになりました。また、及川卓也さん[1]などが言及していたサーバントリーダーシップという考え方に出会ったことが大きく、奉仕型のリーダーシップを追求するようになりました。
注
[1]: マイクロソフトでWindowsの開発に携わり、グーグルでGoogle Chromeのエンジニアリングマネージャーなどを歴任した著名なITエンジニア。