面接官は「一緒に働きたい人を採れ」と言われている
採用をする際、基本的にはどんな会社でも「どんな人を採用すればいいか」という採用基準をいろいろ定めています。ところが意外なぐらい多くの会社で、面接の事前ガイダンスで面接担当者に対して「最終的には自分が一緒に働きたいと思えるような人を合格にしてくれればいいですよ」と説明していたりします。詳しくは以下に説明しますが、結論から言うと、そういうことはあまり言わないほうがよいのではないかと私は思っています。
では、せっかくある採用基準を説明しておきながら、最終的にはそもそも「一緒に働きたい人を採れ」とガイダンスしてしまう側の本意はどのようなものかを考えてみましょう。
「一緒に働きたい人」を採ればマネジメントコストが低くなる?
すぐ思いつくのはこの連載のテーマでもあるように、「コミュニケーション力やマネジメント力が周囲になくても、『一緒に働きたい』と思える人と働けば、なんとかなるのではないか、余計なマネジメントコストがかからないのではないか」という考えです。確かにそういう人を採用すれば、一緒に働きたいと思うぐらいですから相性がよくて、協働することでシナジー効果が発揮されるのかもしれません。素朴に考えるとそんな風にも思えますが、本当にそんな直感的な「一緒に働きたい」で選べというようなガイダンスによって、面接の精度や妥当性が上がるのでしょうか。
それは「自由に採っていいですよ」に等しい
「一緒に働きたい」というのは候補者の何か特定の特徴を指しているのではなく、個々の面接担当者の心の中に生じる気持ちです。ですから「一緒に働きたい人を採れ」というのは、「いいと思ったら採れ」つまり「あなたの心の思うままに自由に採っていい」と言っているようなものです。そして、人は誰かから指示などされなくとも、もともと人の好き嫌いがありますし、評価を左右するポイントを持っていますから、自由にしていいと言われれば、自分の判断基準において人に順位をつけることはできるでしょう。
ただ、それが会社が欲する人材、自社の事業や仕事や文化に適したい人材かどうかは極めて疑問です。
心理的バイアスを野放しにすることにつながる
個々人の持つ判断基準は、基本的に心理的バイアス、言い換えれば偏見に満ち満ちていることは様々な研究などから判明しています。例えば、自分と似ている人は高く評価しがちです(類似性効果)。また、1つとても良い点があれば、それに引きずられて全体の評価が上がる現象もあります(後光効果)。「アスリートはストレスに強いが繊細さに欠ける」などの先入観に縛られることもあります(確証バイアス)。第一印象にいつまでも引きずられて評価してしまうこともあります(初頭効果)。「自由に採ってよい」と言われれば、これらの心理的バイアスを抑制する契機がなくなって、評価は影響を受け放題になるでしょう。
心理的バイアスを受けた評価の精度は低い
基本的に面接において、このような心理的バイアスは避けなければならないものです。世界中の面接手法のスタンダードとも言えるBEI(Behavioral Event Interview/行動評価面接)でも、心理的バイアスを乗り越えるために、できる限り信憑性の高い「事実」=「具体的な場面での過去のエピソード」などから、候補者の思考・行動パターン(性格・能力・志向)を推定することで評価を行わなければならないとされています。「思っていること」(意見)は究極的に、実際と違っても何とでも言えますが、「やってきたこと」(事実)はきちんと深く質問されれば、実際やったことではない偽りの話をするのは困難だから(ばれるから)です。