1. 事件の概要
本件は、被告会社(以下「Y社」)の従業員であったXの親が原告となり、XがY社の事業所内に設置された業務用の連続式大型自動洗濯・乾燥機(以下「本件機械」)内での事故により頭蓋内損傷等の傷害を負って死亡したのは、Y社の代表取締役である被告(以下「A」)および被告(以下「B」)が、Xに対する安全配慮義務に違反したことが原因であると主張し、損害賠償を求めた事案です。
(1)当事者
①Y社の概要
Y社は、リネンサプライ業の経営、介護用品等の販売や賃貸、コンビニエンスストアの経営等を業とする資本金1000万円の株式会社です。Aが、昭和38年にリネンサプライサーピスを目的として設立された有限会社を、昭和48年に組織変更して設立したものです。
リネンサプライ事業の内容は、病院、福祉施設、ホテルなどへのシーツ、タオル、おむつ等のリースであり、シーツ、タオル、おむつ等のリース品の洗濯も自社工場で行っています。
Aは、Y社の創設者であり、本件事故当時は代表取締役社長の地位にありました(現在は代表取締役会長)。
Bは、平成7年にY社の代表取締役に就任し、本件事故当時は代表取締役副社長の地位にありました(現在は代表取締役社長)。
平成11年11月当時のY社のI事業所・工場の従業員数は110名(正社員が18名、パート社員が92名)であり、このうち、障害者は16名(聴覚障害者が2名、知的障害者が14名)でした。
②Xの経歴等
<出生からY社への入社前>
X(昭和32年生)は、出生直後から発達の遅滞が認められましたが、小学校入学後、知能の発達の遅れを指摘され、昭和43年4月(小学校5年生時)、T市立T小学校の特殊学級に入級しました。この時の知能検査では、知能指数(IQ)は50程度でした。
Xは、昭和42年にK大学付属病院小児科で診察を受けたところ、「精神薄弱」との診断を受けています。同年から昭和45年まで、同病院において発達援助指導を受けました。
Xの知的障害の程度は軽度であり、東京都の設けている愛の手帳の交付を受けたとしても、4度(軽度)に区分されることから、手当を受けるなどの実益がなく、愛の手帳の交付は受けていませんでした。
<Y社入社後>
Xは、昭和48年4月、鉄工所に就職しましたが、3年ほどで退職しました。その後、中学校の担任であったD教諭(以下「D」)の紹介で、昭和51年4月、Y社に就職しました。
なお、当時、Y社では、Dが担任する学級を含め特殊学級の生徒の職場実習を広く受け入れており、また、特殊学級の卒業生も複数Y社に就職していました。
D教諭は、Aと面識があったため、Dは就職先として、XにY社を紹介し、Aに対し、中学校の特殊学級の卒業生の就職をお願いしたいとXを紹介しました。
XがY社で面接を受ける際も、DはXに付き添ってY社の工場まで行っており、Aにも会っています。
Xは、障害者手帳や愛の手帳の交付を受けておらず、Y社においても、自己が知的障害者であることを前提とした申告はしていませんでした。また、Xの雇用ついて、Y社が、障害者を雇用したことによる助成金の支給を受けることもありませんでした。
他方、Xは、障害者団体の活動に参加しており、AをはじめとしてY社の上司らは、このことを知っていました。
その後、XはDの勧めで、障害基礎年金の支給を受けるため、平成10年4月、I診療所のI医師の診察を受けたところ、「精神遅滞」との診断を受けました。
診察時の医師の所見は、「表情は鈍。問いには積極的に応諾。会話も成立し、疎通性良好である。家族への関心も社会的経済的事柄への関心も表面的ではあるが存在する。しかし、語彙に乏しく、計算、読字、書字能力が著しく劣り、思考力、判断力、諸概念形成力、倫理観の形成面での未成熟性が顕著である。知的障害の存在は明白である」というものでした。
同医師によると、「Xは援助がなければ労働能力はない」と判定されました。Xは、上記診断を受けた後、平成10年9月ころから、障害基礎年金の支給を受けるようになりましたが、このことをY社には報告していませんでした。