「心理的安全性」をめぐる、よくある誤解
理由を読み解く前に、「心理的安全性」という言葉を整理しておきます。
ハーバード・ビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授は、心理的安全性を「チームの中で対人関係上のリスクをとっても、不利益を被らないと信じられる状態」と定義しています。発言しても否定されず、失敗を報告しても罰せられない。その安心感が、組織の学びと挑戦を支える。ここまでは、異論のないところです。
ただし、この概念には「安全な環境を整えれば、人は自然と声を上げ始める」という前提が潜んでいます。欧米ではおおむね当てはまりますが、日本の場合、安全な場を用意しただけでは人はなかなか口を開きません。空気を読み、波風を立てまいとする土壌があるからです。
この前提を疑わないまま施策に走ること——そこに落とし穴があります。
「何でも言っていい」と宣言し、研修を実施し、1on1の枠を週次で設けた。仕組みは整った。それでも会議室は静かなままです。社員が見ているのは制度ではなく、過去の経験だからです。「言っていい」と言われても、過去に進言して何も変わらなかった人は、口を開く理由を持ちません。
では、日本の組織で社員が口を開くのはどんなときか。1人が勇気を出して懸念を口にし、上司がそれを受け止め、翌週には進め方が変わっている。自分の一言で何かが動いた——その手応えがあるから、その人は次もまた口を開く。横で見ていた同僚も、声を上げた人が受け止められ、何かが変わったのを見ている。それなら自分も。こうした小さな経験が積み重なる中で、長年の沈黙が少しずつほぐれていきます。
「安全だから声を上げる」のではありません。声を上げて、受け止められて、何かが変わった。その経験の積み重ねの先にはじめて「ここでは声を上げても大丈夫だ」という実感が育つのです。安全が先で発言が後なのではなく、行動が先で安全が後。順番が逆なのです。
ここで、もう1つ大事なポイントがあります。心理的安全性が主に効くのは、3つの壁のうち「恐れ」の壁です。「言っても罰せられない」という安心は、たしかに恐れを和らげます。けれども日本の組織では、むしろ「迷い」と「諦め」のほうが根深い。恐れを取り除いても、「何を言えばよいか分からない」「言っても変わらない」が残るかぎり、声は出てきません。心理的安全性だけでは、沈黙は解けないのです。
迷い、諦め、恐れ。この3つの壁には、それぞれに合った処方箋が必要です。

